リレーエッセイ

基礎科目「金融数理の基礎」のご紹介

中川 秀敏 准教授

「金融数理の基礎」という数学の科目では、難しい代数学や微分積分を学ぶというより、数学的な思考によって、概念の定義や議論の根拠を明確にすることの大切さを伝えたいと考えています。

2015年07月09日

僭越ながら、金融戦略・経営財務プログラムの教員リレーエッセイの栄えある第1回目を任されました准教授の中川秀敏です。実は、私はホームページ会議で「教員のリレーエッセイとかどうですかね?」と軽く発言したことがきっかけでスタートすることになったので、言いだしっぺ責任もありトップバッターを務めます。

さて、このリレーエッセイではまず各教員が夜間MBAプログラムで担当している授業科目を紹介することになります。2015年度については、春学期に専門科目「ファイナンシャル・リスク・マネジメント(2単位)」、夏季休業中の集中講義として入門的科目「金融リスク計量入門(1単位)」、秋学期には基礎科目「金融数理の基礎(2単位)」と専門科目「金融リスク計量の諸問題(1単位)」の計4科目(合計6単位分)を担当します。

担当する科目名からお分かりのとおり、担当授業の大半は金融リスクの計量に関するもので、現在の私の研究テーマに密接に関係するものですが、それらのご紹介は次の機会に譲ることにして、今回は基礎科目である「金融数理の基礎」についてご紹介します。なお、基礎科目というのは7つのうち4つは履修しないと修了できない選択必修の科目という位置づけになっています。

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※講義用ノートの一部

一言で言ってしまうと、「金融数理の基礎」は「数学」の授業です。
MBAプログラムの科目紹介のトップが「数学」というのは似つかわしくないかもしれませんし、もしかすると受験を考えている方に変な誤解を与えてしまうかもしれません。実際、毎年の履修者は多くても全体の3割くらいですし、計量系志向の強い一部の学生の強いニーズに応えている科目であることは否めないので、我々のプログラムにおいてはマイナーな科目といっても差し支えないかもしれません。しかしながら、私個人としては、数学とは縁の無い仕事をしていると思っている人にも、できればチャレンジして受けてほしい授業だと考えています(その理由はこのエッセイの最後に挙げたいと思います)。

ただ、「数学」といっても、この授業では難しい関数を知っている必要はありません。微分も積分も必要ありません。ベクトルや行列といった線形代数を知らなくてもかまいません(計算という点では中学1年生までに習う負の数や分数の四則演算ができれば問題ありません)。
また残念なことに、この授業を履修しても複雑な計算ができるようになったり、実務で役立つ便利な定理や公式を覚えて使いこなせるようになったり、もできません(分数の計算は多少訓練されます)。

では「数学」と称して「金融数理の基礎」の授業では何を扱っているのでしょうか?

授業の最終ゴールは「離散時間モデル(特に2項モデル)におけるデリバティブの価格付け理論」を扱うことです。0,1,2,...という離散的な時刻ごとに価格が変化する金融資産の市場取引を記述したモデルを設定し、その枠組みでオプションなどのデリバティブの適正価格や複製戦略を論じるというものです。ですから、いちおうファイナンスのための数学を扱うことになります。
なお、オプション価格公式として有名な Black-Scholes の公式は連続時間モデルでの話題ですので、私の授業では現在は触れません(以前は、2項モデルの極限として最終回に扱ったことはありました)が、デリバティブ価格付け理論のエッセンスはこの授業内容だけで十分カバーされると言えます。

さて「離散時間モデル」は金融市場や金融資産を対象とするものですが、真の姿は様々な記号や数式の集まりです。特に、将来の価格がどうなるかわからないという不確実性(ここでは「リスク」と呼んでも差し支えないでしょう)がある世界を扱っているので、「確率論」の言葉がモデル記述の自然な言語になります。
そして、「離散時間モデル」を記述するためには、高校数学で習うようなサイコロやトランプでイメージされる場合の数に根ざした確率では十分ではなく、「集合」とか「写像」とかの概念を含んだ「集合論」と呼ばれる数学分野の道具を用いて構築された非常に抽象的な「確率論」が必要になってきます。

少し前に微分積分や線形代数は予備知識として仮定しないと書きましたが、そのかわり「集合と論理」の基本事項は予備知識として活用します(初回に復習しています)。
「集合と論理」と言われてもピンとこないかもしれませんが、「集合」とか「必要条件」とか「十分条件」とか「対偶」とか、そのあたりの概念を扱う高校数学の単元です。昭和45年の学習指導要領から「集合と論理」は、ほぼ高校数学における必修に近い位置づけになっていて文系の人でも習ってはいるはずです。それに「忘れた!」とか「聞いてないよ!」といった人であっても、基本的なことはすぐに受けいれてもらえるはずです。無意識のうちに、日常の言語生活の中で使っていることばかりだからです。

そのため、離散時間モデルを扱うための必要最小限のトピックに限定することになりますが、「集合論」→「確率論」→「離散時間モデルの理論と応用」という順に講義していきます。
もちろん抽象的な数学概念がひたすら続く講義はほとんどの学生の方には辛いので、コインやサイコロなどを具体例として説明したり、数学にとっては命とも言える(けれども多くの人を数学嫌いにさせているであろう)「証明」を端折ってポイントだけを解説したり、くだらない雑談を交えたり、と初学者に対する配慮もいちおうしています。

ただ、この授業でもっとも大事なことは
「どんなに簡単に思える概念も定義を明確にし、また議論を展開する際には一つ一つ何を根拠にしているのかを明確にさせること」
だと考えています。そのことは授業の特に最初の方で強調しています。

概念の定義や議論の根拠を明確にすることは、数学では当然ですが、むしろ仕事をしたり論文を書いたりする時にこそ、とても重要だからです。
定義や根拠を曖昧にしていると、大事なことが相手に正しく伝わらなかったり、実は自分でもよく分かっていなかったり、ということが起きてくるからです。
そういう理由で「数学とは縁の無い仕事をしていると思っている人にも、できればチャレンジして受けてほしい授業だと」思っています(いちおうデリバティブ価格理論のエッセンスも副産物として学べますし)。

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※授業が行われる教室。やや大きめのホワイトボードがあります

なお、授業はホワイトボードにひたすら板書するという旧式スタイルで行っています(とは言っても、数学科の授業の板書に比べると半分くらいのスピードだと思います)。授業を履修する人からは毎年少なからず苦情もありますが、個人的にはこの板書形式が数学の初期学習においては最適だと考えているので、あえて板書にこだわっています。

「考えながら書く、書きながら考える」ことを最初のうちは徹底してやらないと、数学(だけでなく他のことも同じだと思うのですが)は身につかない、と思います。

我々のMBAプログラムでは、どの科目を履修しても右脳も左脳もフル活用することになりますので、頭脳トレーニングは完璧と言えます。しかしながら、授業を聞いたり課題をこなしたりするために座る時間が多くなりますので、運動不足気味になるかもしれません。
「金融プロフェッショナル」や「世界で戦えるリーダー」となるためには体も資本です。
ですので、ノートにひたすら書くことで自動的に利き腕の筋力トレーニングができる「金融数理の基礎」は、少しですが運動不足解消にもなるかもしれません(笑)。

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