修了生の活躍
星野リゾートホールディングス
企画開発部 プロジェクトプロデューサー
馬場 義徳さん
2008年3月修了
1999年に建築学科の大学院を卒業したあと、中堅ゼネコンに就職しました。もともとリゾートやレジャーに興味があり、実際にゼネコンでは水族館やアウトレットモール、温浴施設の建設に携わっていました。
レジャー施設をつくること自体は楽しく、やりがいのある仕事でしたが、次第に建物をつくる前の段階、レジャーという事業そのものに対して興味を抱くようになりました。そのときにちょうど一橋大学で教えている知人がいて、MBAコースのことを聞きました。MBAには以前から興味がありましたが、海外にいかないと取れないとか、国内でMBAを取ろうとすればお金がかかるものだと思っていました。それが国内で、夜間の授業で、しかも比較的安い学費でMBAを取れることを知って、これはいいチャンスだと考えてFSを受験しました。
私にとって金融はほとんどなじみのないジャンルでした。入学が決まってから初めて金融工学の本を買ったりして、全く分からないところからのスタートとなりました。もちろん不安はありましたが、新しい分野にチャレンジする楽しみもあり、当初は自分の中で深刻に考えていませんでした。
しかし、入ってからあんなに苦労するとは思いませんでした。特に、1年目の前期はかなりタイトでした。当時の生活は、朝5時か6時に起きて1時間くらい宿題をやり、8時に会社に出勤。工事現場に新幹線で行くのですが、行き帰りの新幹線の中でも宿題を解いていました。18時過ぎから授業を2コマ受けて、そのあと同級生と1時間くらい宿題をどう解くか相談してから22時半くらいに大学院を出て、家に着くのは23時半。そこから2時か3時まで宿題をやる。睡眠時間は3時間。そんな時期が続きました。
一番衝撃を受けたのは、授業で使われている言葉が分からなかったことです。それでも慣れてくれば度胸がついてきて、肝となる言葉の概念が理解できれば、授業もだんだん分かるようになってきます。半年間にまとめて苦しい思いをしたことが自分にとっては良くて、要領をつかむとそこまで睡眠時間を削らなくてもすむようになりました。
数学の勉強も苦労しました。もともと建築学科を卒業したのである程度は理解できていましたが、それでもひとりでは解けないので、10人くらいの仲間を作ってチームワークで宿題を解いていました。このときに学んだ確率・統計の知識や金融理論は、今も基礎体力として身についており、日々の仕事に役立っています。
当時の会社には理解をいただいていました。仕事をきちんとしている限りは、勉強をしながら働いても問題ありませんでした。大学院で学んだ知識を業務にフィードバックできるように心がけて、周りの協力を得やすい環境を作りました。
家庭については、大学院に入学したのがちょうど自宅を建てている時期で、通っている最中に家が建ち、さらに1人目の子どもが生まれました。病気で1カ月会社を休んだこともありました。卒業してから転職したり、2人目の子どもも生まれたので、入学してからの3年間は怒濤の生活でした。
在学中は家庭に関してもできる限りのことをしていました。勉強しながらでも子どもはあやせますし、どうせ夜中まで起きているのだから、夜は自分が子どもの面倒を見たりもしました。休日も昼間は子どもと過ごして、子どもが寝てから夜に勉強するようにしていました。唯一、日曜の午前中だけは近くの喫茶店へ行き、ひとりで論文を書く時間を確保するようにしました。
やはり一緒に学んだ仲間です。みんなで一体となって宿題を解いたことを通じて、このジャンルは誰が強いとか、それぞれのパーソナリティーをお互い理解しています。今でも、何か困ったことがあったら、そのジャンルに詳しい仲間にアドバイスを求めています。何でも遠慮なく聞ける仲間を得たことは非常に大きいことです。
先生との関係も私にとって大切なものです。金融以外の分野から挑戦したという経歴もあってか、いまだにかわいがっていただいています。
在学中は勉強することに一生懸命で、転職は考えていませんでした。建設の「先」にある仕事をしてみたいと強く思うようになったのは、修了後のことです。今までの経験を生かしながら、リゾートの事業そのものに関わる「川上」の仕事をやってみたいと考え、佐山先生に相談したところ、ヘッドハンターの方をご紹介いただき、そこで星野リゾートという会社を紹介していただきました。
私は企画開発部という部署で、土地・建物の取得から建物の運営までを手がけています。旅館のオーナーとの交渉や銀行とのやり取り、設計事務所との折衝、行政との交渉、建物の完成後のオペレーションまでが業務です。現在は東京・大手町で「星のや東京」という日本旅館のプロジェクトを手がけています。
名刺に「一級建築士」と「MBA」の2つの肩書きを書くと、銀行からすると「建築が分かる」と思われ、ゼネコンからは「数字が分かる」と評価されます。私が担っているのは、いわばレジャー開発と金融理論の「橋渡し」です。ドメスティックな事業と金融は一見交わりそうもない分野ですが、それぞれの分野を突き詰めれば新たなつながりができ、そこに付加価値が生まれることがあります。
最初から転職を目的として大学院で学ぶと、身に付くものが偏ってしまうと思います。大学院は小手先のテクニックを学びに来るところではなく、基礎体力を付けるところ。どうやって学ぶか、どうやって新たな知識を吸収するかを身に付けるところだと思います。そうして2年間学べば、おのずと進むべき道が広がってくるはずです。
何よりもお伝えしたいのは、大学院ではいい仲間に巡り会えるということです。利害関係がなく、同じ苦労をしている仲間。通常なら立場が上の人や、立場上まず会えないであろう人とも友達になれる。これは大学院でなければあり得ないことです。
また、何を学ぶか、授業についていけるかどうか等を考えすぎるよりも、ちょっとでも「面白そう」と思ったらまず入ってみたらいいと思います。入ってから、大変なことは多いかもしれないけれど、恐れずに、ハードルを上げずに挑戦してみればいいと思います。そこでがむしゃらに学ぶことで初めて見える世界が必ずあるはずです。
社会人になって、純粋に勉強のために2年間過ごせるのはありがたい経験です。これからFSで学ぶ人には、ぜひこの2年間を楽しんでほしいと思います。
※本記事の内容、肩書き等は2014年10月当時のものです。
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